空っぽではなく、満たされている

 

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この記事の最後に、「昔はもっと書きたいことがあったのに、今は書きたいことが見つからない。自分が空っぽでがっかりする」ということを書いたが、それは間違いなのだと気づいた。

気づいたきっかけはオードリー若林さんの『ナナメの夕暮れ』というエッセイの冒頭部分で、「昔(芸能界に入ったばかりのころ)は、びっくりすることが多かったが、もう芸能界に馴染んでいてびっくりすることがなくなり、エッセイが書けなくなったことがある」と書いてあるのを読んだから。この本は何度も読んだが、そういう気づきを得たのは初めてだった。

 

昔は自分の不満や辛いことがたくさんあった。新卒で入った会社では人間関係でつまずき、メンタルの調子を崩した。自分が大嫌いで、いつも自分を責めて、生きる価値がない自分に絶望して、ずっと布団にくるまって泣いていた。

そんな調子だったけど、会社が別の場所で働かせてくれて、ちょっとずつ心の平穏を取り戻し、仕事もそこそこ覚え、迷惑にならない程度にできるようになった。プライベートも結婚、出産を経て、幸せを感じることが多い。

小さい不満や辛いことはあるけれど、自分を消し去りたいとか自分は無価値だと思うほど自分自身を嫌いでもない。十分、満たされている。だから、心のそこから何かを訴えるみたいな気持ち=書きたい気持ちが湧いてこないんだなと、腑に落ちた。

 

しかし、「自分、満たされているわ〜」と言いつつ、こうやって文章を書きたくなるのは、承認欲求なんだと思う。自分の考えを表現したい気持ち、誰かに読んでもらいたい気持ち、認められたい気持ち。育休中で育児と家事をこなし、普段会話する大人は夫だけ。ふとした瞬間に、社会から切り離されたような気になる。その寂しさや焦燥感を少しでも紛らわすために、チラ裏にでも書いておけばいい独り言のような日記をわざわざネットにあげているんだなと思った。承認欲求は強すぎて何かやらかさなければ悪いものでもないし、うまくコントロールして自己向上のモチベーションに繋げたい。